モノとしての会社、ヒトとしての会社

 

会社にはモノとしての側面とヒトとしての側面があります。

モノとしての会社は、株式という形で株主に所有され、売り買いができます。
ヒトとしての会社は、法人格を持ち、権利義務の主体になることができます。

会社がヒトとして権利を有し義務を負うのはあくまでも法律の範囲内に限られ、自然人である人間が生まれながらにして基本的人権を有することに比べれば、限定的な小さな一面にしか過ぎません。また、会社に法人格を持たせた理由はあくまでも経済的利便性によるものであり、会社を人間に近い存在と考えて人権の一部を与えたわけではありません。

つまり、「法的擬制」という皮をむけば会社はただのモノ。モノなので所有できるし、売ったり買ったりできる、というのが、少なくとも法律や経済の視点では当然の会社の姿です。

でも本当にそうでしょうか。
会社の本質や価値は法律や経済の視点だけで捉えられるのでしょうか。

上場会社も非上場会社も、企業価値には無形資産や成長期待などのプレミアム要素が含まれ、取引の株価が決まります。値段がなければ取引できないので、会社を売買する経済効果を考えればやむを得ないことではありますが、少なからぬケースで買った後に多額の減損を余儀なくされたり、経営者や社員が離反して業績が悪化したりします。

このように、モノであれば起きにくい価値の変化が会社の売買でしばしば発生するのは、お金で測りきれない大事な価値が会社にはあることを示していると思います。

数十年昔の会社では、工場の機械設備や不動産や在庫商品が利益の源泉でした。しかし会社の利益を生む資産はこの30年ほどの間にモノからヒト(知識・情報・デザイン・サービス)に大きくシフトし、その傾向は情報技術の進展に伴いますます加速しています。

そして、このようにヒトが利益を生む大事な資産になっていくと、会社は権利義務の主体という法律の視点や便利に売り買いできるという経済の視点だけでは捉えきれないヒトの集合体(有機体)という性格を強めて行きます。

会社のヒト化現象が進めば所有も売買も難しくなり、意思や感情というヒト的側面が目立ってきます。資産としてのヒトの価値を高めることが会社の価値を高める優れた経営ということになり、ヒトを大切にする謙虚な姿勢が経営者に求められるようになります。

HOPが主宰する学び舎「人事の寺子屋」では、受講生に「人事は経営そのもの」と繰り返し伝えていますが、その意味するところはまさにこのことです。

もちろん会社にはモノ的側面とヒト的側面の両方があり、会社や事業の性質によってどちらがより強いかは異なります。

しかしながら、これから益々会社はヒト的側面を強めていくので、ヒトをモノや機械のように扱えば大事な資産を傷つけ、会社の価値を大きく損なうことは間違いありません。

多くの会社でパワハラなどの事例が後を絶ちませんが「モノからヒトへ」という会社の変化に対応できない古い経営者や管理職の苛立ちがそこには表われているように感じます。

AIが人間の仕事を奪うという懸念がそこかしこで語られていますが、そういう時代こそ「ヒトとしての会社」の強みを引き出せるかどうかが会社の盛衰を左右することになるでしょう。

ヒトは生まれながらにして基本的人権を持っています。

ヒトについて思索し、ひとり一人の人権・思想・感情に敬意を払い、持てる能力と価値を引き出す。それはこれからの企業経営の最も重要なテーマであり、HOP(Human Optimization Platform)の活動の目的なのです。