HOP Library #8 『国富論』と『道徳感情論』(アダム・スミス著、高哲男訳、2020年、2022年、講談社)

アダム・スミスは『国富論』(The Wealth of Nations)の中で、市場経済における自己利益の追求が、社会全体の利益をもたらす仕組みを説明している。個人の自己利益の追求によって市場の競争や価格メカニズムが働き、結果として効率的な資源配分や経済成長など社会全体の利益に寄与すると述べている。この概念が、後の時代にスミスの思想を研究する人々から「神の見えざる手」として解釈され、市場の自発的な調整力や経済成長を促す効果を主張するキーワードとして広まっていった。

スミスは『国富論』のなかでこう述べている。「彼(個人)は自らの利益を追求することによって、自らの意図とは関係なく、一般的な利益にも貢献するように導かれるように見える。彼は自分自身の利益を追求するために努力するだけであり、彼の意図は一般的な利益を増進することではない。しかし、彼が自分自身の利益を追求するように導かれるとき、彼は自然界の指導に従って行動しているように思われる」。

『国富論』ばかりが強調されるアダム・スミスだが、その一方で彼は『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)という本を著し、その中で他者との共感や道徳的な行動の重要性を強調し、社会的な規範や共感に基づく道徳的な行動の意義を説明している。

『国富論』と『道徳感情論』の間には思想的な矛盾があると主張する人々も一部にいるが、スミスは『国富論』では経済的な側面から市場の自律性と効率性を強調し、『道徳感情論』では道徳的な側面から共感や他者への思いやりの重要性を唱えているのであって、その思想が矛盾しているわけでは決してない。スミスは、経済的自由や市場メカニズムが社会的な利益や繁栄をもたらし、道徳的な感情や共感に基づく行動が社会の結束を強化するということを、別々に論じているのであって、経済と道徳は密接に関連しており、両者が相互に作用し均衡することで人間社会は成立する、というのが彼の思想の骨格だと言えよう。

一世紀のちに、進化論で有名なチャールズ・ダーウィンが人間の社会的行動や協力行動の進化について考察し、その根幹にある「社会的本能」という概念を提唱した。ダーウィンは、人間は社会的な生き物であり、人間の生存と繁栄にとって他の人々との相互作用や協力が不可欠であると考え、その重要な要素が「思いやり」と「共感」であるとした。さらに、道徳的な行動や規範も社会的本能の一環と捉えられ、人間は社会的な共同体において特定の規則や倫理に従う傾向があると説明した。こうした社会的本能が生き物としての人間の生存を支えてきた。ダーウィンはまさに、スミスが『道徳感情論』で主張した思想を進化論的に定式化したのである。

二十世紀の最後の10年から現在に至るまで、新自由主義の経済思想が世界に拡散し、市場の機能を絶対視し、経済を超えた分野にまで市場機能を導入したことによって、人間の社会的本能である道徳(思いやりと共感)の概念を社会の片隅に追いやって行った。しかし、その新自由主義思想の源流とされるアダム・スミスが、実際は経済と道徳のバランスの重要性を強く主張していたことを私たちは改めて認識する必要があるだろう。

経済と道徳は表裏一体であり、どちらが欠けても豊かな人間社会は築けない。アダム・スミスの『国富論』と『道徳感情論』を読み比べることによって、そんなごく当たり前の認識に立ち戻ることが求められている。