はじめに 会社にかけられた呪文|『魔法使いの弟子たちへ―格差と分断の時代に贈るもう一つの会社の物語』

一七九七年、ドイツの詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、一篇の寓話詩『魔法使いの弟子』を世に送り出しました。

若い魔法使いの弟子は、師匠の留守中に禁じられた魔法に手を伸ばします。掃除の手間を省くために、一本の箒に「水を運べ」と呪文をかけたのです。すると箒はバケツを抱え、川から絶え間なく水を運び続け、やがて家じゅうを水浸しにしてしまいます。

弟子はあわてて呪文を解こうとしますが、止め方がわかりません。

慌てて箒を斧で叩き割ると、その破片は新たな箒となって増え続け、もはや収拾がつかなくなります。そこに師匠が帰宅し、ひとこと呪文を唱えると、ようやく事態が収束します。

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魔法使いの弟子と暴走する箒

この短い寓話は、人間が生み出した力が自らの意図を超えて暴走する宿命を、厳かに、そして普遍的に描き出しています。

資本主義と市場経済という箒。

本来社会の繁栄のための道具であるはずのそれは、経済成長という魔法の呪文をかけられ、当初の意図を離れてただひたすら大量の水を運び続けています。

その結果、いま私たちの地球には、富の偏在と格差の拡大、深刻な環境破壊、そして憎悪や中傷による分断と対立が、人間同士の信頼と協力を押し流す洪水となって押し寄せています。

ゲーテの『魔法使いの弟子』に描かれた物語は、決して過去の寓話ではありません。それは、まさにこの現代に起きている現実なのです。

本書は、会社とマネジメントの意味を根源から問い直すことによって、この「暴走する箒」の呪文を解こうとする哲学対話の物語です。

登場するのは、現代を生きるビジネスマン、観人(かんと)。
市場の奔流を四十年あまり泳ぎ続けてきた彼は、還暦を過ぎたいま、社会の変化と自らの人生に疑念を抱き、果てしない暗闇へと足を踏み入れます。

そこで彼が出会うのは、紀元前四世紀のアテネからやってきた二人の若者です。

一人は、哲学を学ぶ、聡明で愛情豊かな女性アリス。
もう一人は、靴職人にして、理想を現実に照らして考える男性テレス。

そして彼らの対話には、暗闇に棲む一匹のキツネが加わります。
キツネは時を超えて蓄積された知恵の象徴です。三人の対話が足踏みしたり迷路に迷い込んだとき、静かに彼らを次なる問いへと導きます。

この三人と一匹のキツネが織りなす対話が、本書の骨格を成しています。

観人は問いかけます。
世界はなぜ市場化したのか。
会社とは何か。
働くとは何か。
組織とは何か。
利益とは何か。
資本とは何か。
自由とは何か。
正義とは何か。
マネジメントとは何か。

競争、獲得、所有、成功、成長、効率、時価総額。
会社にかけられた呪文を解くために、彼らは暗闇の中で対話を重ねていきます。

そして長い対話の果てにたどり着いたのは、「預かり、育て、返す」というマネジメントという仕事の本質的な役割でした。それは市場競争の価値観とは対極にある、太古から連綿と続く人間の営みなのです。

「もう一つの会社の物語」が紡ぎ出す希望のマネジメントの実践。それが、この本のテーマです。

ゲーテの寓話に登場する魔法使いの弟子は、遠い昔話の登場人物でもなければ、見知らぬどこかの誰かでもありません。それは、今、この書を手に取ったあなた自身なのです。

では、さっそく彼らの哲学対話を始めましょう。

希望のマネジメントの世界へようこそ。

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